★マローツィア婦人 サンタンジェロ城5 バチカン市国
933年「サンタンジェロ城』では婚礼の儀が行われていました、新郎はイタリア王の『ウーゴ』、新婦は『マーロツィア』美女で、政治的にも辣腕を振るうやり手です。

この結婚がなぜ歴史的の重要かというと、イタリア王と教皇庁をコントロールするこの新婦の結婚により、ローマ王と、教皇庁が同じ家族によって牛耳られることになったからです。
なぜ両権力を握ったかと言いますと、この『マーロツィア』はすでに権謀術策で自分の息子を教皇の座につけていました。
でも、ちょっと待って、「息子が教皇だって、何で?」。
実は、『マーロツィア』は過去に2回結婚をしていて年齢も40を過ぎていました。でもこのころの結婚はほとんど政略結婚だったので、新郎にとっては権力拡大のためのチャンスだったわけです。
いくつかあった結婚の障害もなにすることぞと、嘘と、改竄でまんまと切り抜けてこの結婚式にこぎつけました。(どこかの首相に似ています)
その前にも何人かの教皇を死に追いやったり、陰謀で多くの人を陥れていました。

しかし悪いことは長くは続きません、『ウーゴ』は『マーロツィア』の子どもの『アルべリコ』との関係が良くありませんでした、もともとこの王は粗暴で、下品な男でした。
そんな継父に対して『アルべリコ』は反発し反乱を企てました。彼は反乱軍を組織し、『サンタンジェロ城』を包囲しました、身の危険を感じた王は、妃を置いて自分だけさっさとパービアに逃げ去りました。この王は粗暴で、下品なだけではなく臆病で、卑怯な男でもあったのです。
『アルべリコ』は母と、兄の教皇を幽閉して共和政を宣言して、彼が元首となりました。
今まで権謀術策と権勢をふるっていた『マーロツィア』ですが最後は思わぬわきの甘さを露呈してしまったものです。
この城の内外ではたくさんの歴史的な悲喜劇が繰り返されたことと思います。こういったことをちょっと小耳にはさんでおくだけで、実際にこのお城を訪れたときに、一層興味を持って、雰囲気を味わえると思います。

そのころの主人公たちもきっとこの「テベレ川」を様々な思いで眺めたと思います。