知られざる側面 レオナルド

2020年1月訪問 イタリアからコロナがなくなるまで書き続けます。

 ★誰しも心の中に闇を持つ レオナルドの知らざれる側面






『レオナルド ダ ヴィンチ』は見事にこの結婚式をやり遂げ、ヨーロッパ全体にその名を知らしめました。

 では、このような知識や、経験を彼はどこで積んだのでしょう、それは『フィレンツェ』でした、フィレンッエの工房で働いていたころ、芸術家や技術者にとって、『メディチ家』が主催するイベントや、パレード、ショーの準備は工房の仕事の大きな割合を占めていました。

 祭壇画を描いたり、彫刻を納品したりするだけではなく、こういったイベント請負業に大忙しだったのですね。

 そして、そのころレオナルドが自分で着た衣装はそのイベントの中でも注目を集めました、「サテン入りの地に浮き模様を施した胴着、バラ色のチッニックなどレオナルドの派手な衣装は有名で、独創的な舞台演出でも知られた存在だった」ことが当時の記録に残っています。

 つまり、『レオナルド ダ ヴィンチ』は当時、文化的に他の国より進んでいた流行品や、進んだ演出法、斬新な考え方などをミラノに輸出したわけです。




 ただし、このような名声は、すべてミラノ公の叔父ロドヴィーコからの注文によって達成できたわけです、そしてこのロドヴィーコのこうしたイベントでの目論見は、当然若いミラノ王をコケにして権威をますます失墜させることでした。そしてその目論見は見事に成功して、後にミラノ公の地位につきます。

 ダビンチも当然このような事情を十分理解したうえでこの陰謀に加担していたわけです、もちろん彼の雇い主はロドヴィーコですから彼の命令に従わなければならないのですが、この陰謀を受け入れ積極的に推進していくという役割を演じたのです。

 まあ、いつの時代にも「寄らば大樹の陰」、権力のお先棒を担いで、隠蔽や、改ざん、黒も白と言い包める陰謀に加担する人間はいるもんですね。




 レオナルドのやっていたこともそのようなことでした、『大画家』『大天才』『時代を変えた寵児』様々な賛辞で語られた彼にもこうした面があることを今回知り、やっとレオナルドの一面に近づけたような気がします。

 気のせいかもしれません。 それでは チャオ!