オテル・オデッサ・モンパルナスからドランブル通りを通ってメトロ・ヴァヴァンの方へと向かいます。
時間があればエドガー・キネ通りをそのままま真っすぐ行ってフランシパル通りを左折して「モンパルナス墓地」の中に入って散歩するのも楽しいですね。
フランシパル通りを曲がった鼻のところに「ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ヴェーユ」のお墓があります。(この二人はこの後にも登場しますよ)
散歩が終わったら、お墓を出てユイガン通りを歩いて行くとヴァヴァンにつきます。
メトロ・ヴァヴァンの近くには私が好きなレストランが何件かあります。
La Bistrot du Dome
ココにはまだ行ったことはないのですが、次回は行ってみようと思っています。
私が以前行ったのは、地図上のLe Dôme Caféでシーフードパレットを白ワインと一緒に食べました、何種類かの蠣とエビなどのシーフードが盛りつけられたなかなか豪華なものでした。
ちょっと豪華なサーフェスでしょ。
そしてドランブル通りのほうに回るとお魚のショーケースが置かれています。
時間になるとたくさんの人がこのショーケースを覗いている光景が見られます。
ココでお魚を見たたてお店に入ります、ケースの中にはいつでも新鮮な魚が並べられています。
どうしていつも新鮮なお魚が並べられるかというと秘密があるんですね、次の画像をご覧ください。
LE Dome Cafeは魚屋さんを持っているんですね、それで新鮮な魚介をいつも提供できるという訳なんです。納得ですね。
この、Le Domeは1898年にオーヴェルニュ出身のポール・シャンボンがモンパルナス大通りに作りました。その頃は飲み物1杯何時間でも粘れるような、小さな安カフェだったようです。そしてそれがこれから書くような貧乏な斜に構えた若者たちが集まる原因になったのでしょう。
1905年頃にドイツ人の反戦風刺画家のジュール・パンスキンがドームに通うようになると。モディリアーニ、モイズ・キスリング、マリー・ローランサン、藤田嗣治などのエコールド・パリの画家や、アメリカ人の小説家ヘミングウエー、そしてシュールリアリズム宣言を著したアンドレ・ブルトンとそれに連なるマックス・エルンストやマンレイなどの画家、サルトルやボーボワールも出入りしていたようです。
この時代のドームは、新進気鋭の芸術家や、作家、哲学者などが集まり口角泡を飛ばして議論をしていたのでしょうね。
そしてドームに集うこうした人々のことは「ドミエ」と呼ばれました。
LE Dome Cafehaはシーフードのおいしくとても内装がなきれいなレストランですということだけで終わってしまうとこんな歴史は見えてきません。
パリで気になったことがあれば少し深彫りしてみることをお勧めします。