サン・ジェルマン・デ・プレ教会Eglise Abbaye Saint-Gr\ermain-des presについてお話しします。
サン・ジェルマン・デ・プレこの地域の名前ですね、大通りの名前にもなっています、この名前の由来がわかります。
この教会の創設は遠く6世紀543年にさかのぼります、当時は現在の建築物とは異なり、修道院に一部に作られた教会だったそうです。
創設者はクロヴィス1世の息子ギルデベル(シデベルト)1世(Childebert Ier)(497年頃 – 558年)が建立しました。今は残っていませんが、当時の修道院はフランス最古の修道院です。
ギルベルト没後彼が作った修道院に埋葬されました、以後この修道院はメロヴィング朝の霊廟とされました。
そして、576年にパリ司教の聖ジェルマンが埋葬されたのでサン・ジェルマンの名が付けられたといわれています。
フランス革命中はほかの教会と同じように教会ではなく火薬の貯蔵所となっています。

19世紀以降現在の形に修復。(参考 ウイキペディア サン・ジェルマン・デ・プレ教会ウエブサイト)
この、画像の右側の石造りの部分ですが、私が調べた限り鐘楼と一体となった部分で、ロマネスク様式の半円形のアーチが石で塞がれていますとすると作られたのは最も古い時代で10世紀から11世紀の物と思われます。どなたかご存じの方がいらっしゃったらおしえてください。
(Paris-Promeneurs(解説記事) — 地域案内の建築史的解説。
要点:鐘楼が 990–1014年 に建てられたとし、身廊(nef)が11世紀のロマネスクに属する可能性を示しています。つまり、鐘楼に隣接する壁面はロマネスク期の造作の一部である可能性が高いと解釈できます。出典)

この教会のポイントは鐘楼にあると思います。この鐘楼は10世紀から、この地を見つめて来たと思うととても特別な思いがします。
またこの教会と修道院が果たした文化的額実的な役割も素晴らしいものがあります。
先ほども書いた通りこの教会は548年にキデベルト王によって創建されました、9世紀にはヴァイキングの大規模なパリ進攻があり、この修道院と教会は完全に破壊されました。しかし、1014年にモラール修道委員長の指導の下に再建され現在私たちが目にする教会として再建されました。教会は姿さへ違い548年から同じ場所に存在しています。
1024年にクリューニー修道会から重要な申し入れがあり、そしてこの改革に着手します。この改革の中身は中世社会における修道院法学と世俗法学の発展に大きく寄与します。キリスト教の知識その他、この教会・修道院にある書籍などを徐々に外部の学者にも開放疎たのです。その結果教会がソルボンヌ大学(1250年頃)の設立を促進するまでになりました。

画像は17世紀初旬のサン・ジェルマン・デ・プレ教会と修道院の様子です、たくさんの学者や哲学者、教授などがここを訪れるようになりそのことが経済効果を生みサン・ジエルマン・デ・プレ村全体が活気づいていった様子がよくわかります、教会の周りには修道院や学舎が並びます。(参考 サン・ジェルマン・デ・プレ教会ウエブサイト)
内部の様子は次回ご説明しますね。
2025年4月訪問 i-phon15prp