サン・ジェルマン・デ・プレ教会にはまだまだたくさんの美術品や歴史を語るものがあります。

スコットランドの貴族ウイリアム・ダグラスの墓
画像はスコットランドの名高い貴族ウイリアム・ダグラス(William Douglas1554-1661)のお墓と墓碑です。
かなり長い文章が書かれていますが訳してもらいました。
あなたはいま、人間の栄華の悲しい見せ物を見ている。
そして、消えゆく善なるものの像とは何かを。
私は、もはやかつての私ではない。
英雄たちの家に生まれ、ダグラス家の長、アングス伯という偉大な身であったが、
その一部はここに滅び横たわり、(魂の)無事なる部分は巡り還った。
運命、物事の移り変わりは、暗がりのうちを流れてゆく。
私は灰となるべく変えられ、影の中に見られ、そして覆われる。
汚れなき財もまた、四散してしまう。
運命が私に与えていた富、それは祖先の徳が伝えてくれたもの。
私が(家の者へ)伝えたものは、運命が彼らに授けるだろう。
私に残ったのは、ただ小さな布切れ(死装束)と、墓の小箱だけ。
嘆いて何になろう。死は、すべての者が平等であることを諭す。
王であろうと、みな貧しく死にゆく時、各自の住まい(洞=棲処)を閉ざして去る。
結局は、どちらも同じく墓のなかで朽ち、(虫の)食物となるのだから。
彼は57年生き、1611年3月3日に没した。
ウィリアム、アングス伯(=息子)が、最良にして最愛の父のためにこの記念碑を建てた。
ここで一つの疑問がわきます。ウイリアムはスコットランドの貴族でしょ?ではなぜパリのこの教会に埋葬されているの?ということです。
この謎を解くカギはキリスト教内の争いでした。宗教改革以来、イギリスは主にプロテスタントが優位を占めました、フランスは、一時期プロテスタントに傾くのですが、おおむねカソリックの影響が強い国でした。
ウイリアムはスコットランドの宗教がらみの内紛でフランスに渡り生涯の後半を過ごしました。
また、スコットランドとフランスが同盟関係にもあり、パリにはスコットランド人のコミュニティがあり、彼はここに住み着くことにしたのだろうと思われます。
彫刻を見てみましょう初老の男が右手を頭に宛てて寝転んでいます。このようなポーズはこのお墓だけではなく多くの場所で見られます。
これは「横臥像(レカンバン):貴族墓に典型的な「眠るように横たわる」姿。長い法服風の衣装と大きなウィッグは17世紀初頭の上級貴族の礼装。(ウイキ)」ということになっています。
また、上には浮彫で家紋が彫られています。これもこの頃にはごく普通に行われていた家名と功績の顕彰が彫られています。
この墓碑の作者は調べたのですが分かりませんでした。

ポーランド王ジャン・カジミール・ヴィェシユニオフスキー
この像は前にご紹介した、ポーランド王ジャン・カジミール・ヴィェシユニオフスキー(Jean Casimir Wyszynski 1609-1672)という方です.。前は説教台でしたがこれはお墓です。
このひとはポーランド=リトアニア共和国の王様でしたが退位後にフランスに行きサン・ジェルマン・デ・プレ修道院に隠棲しました。推測ですが、王様業過酷なこともあったんでしょう、下の銅板の浮彫には戦争の絵も描かれています、国を守るためや、領土を拡大するにはたくさんの戦を繰り返し、たくさんの意の都営失わせたのかもしれません。その鎮魂と、贖罪のため魂を浄化したかったんですかね。
大理石と青銅で作られた堂々とした立派なものです。
こんかいはこの2点をご紹介しました、次回はどうなるかお楽しみに。
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