ノートルダム大聖堂のお宝に秘められた歴史

 

シモン・マティファ・ド・ビュシのガイザン

前にもお話ししましたが礼拝堂には高位の方のお墓があることが多いです。

この場所は「悲しみの聖母礼拝堂(chapelle Notre-Dam-des-sept-Dovleurs)」という名前の礼拝堂です。

シモン・マティファ・ド・ビュシという方ですが1290-1304年までパリ司教を務めた方です。

ガイザンとは横たわる等身大の姿であらわした中世の墓碑彫刻のことをいうそうです。

彼はその時代の大聖堂の重要な後援者であったといわれています。

製作者は不明ですが、14世紀初頭に作られたとされています。

彫刻を見てみましょう、一人の男が横たわっています、赤い丸印が付いた手袋(典礼用の物らしいです)をはめて手は胸に組まれています。

やはり、赤や青の典礼用の衣装を身にまとっています。

目は閉じていますがなかなか威厳のある顔立ちで全体として位の高い聖職者としての権威や栄光が示されています。

足元にはライオンがいます、この頃のライオンの意味は勇気や権威を象徴しているといわれています。

また、復活やキリストの力などを示すために使われることもあるようです。

このガイザンは大聖堂に今残るただ一つのもので、歴史的にも貴重なものです。

 

大司教ジョルジュ・ダルボワ像

次の像は19世紀の殉教した大司教ジョルジュ・ダルボワ(1813-1871年)の像です.

この像も聖マルセル礼拝堂に置かれています。

ダルボアはパリ・コミユーンの際に精力的にコミユーン側と交渉しましたが射殺されてしまいました。

この功績と、殉教を悼んで作られた像だそうです。

この像の作者はルイ=エルネスト・バリアス(1841-1905年)です。19世紀のアカデミー派の彫刻家で、サン・シルピスやパンテオンにも作品が置かれています。

彫刻を見てみましょう、ダルボワは大司教服の礼服を着ています、胸には十字架を下げ、右手を挙げています。何か人を引きつけ対話をしているかのようです。しかし左手は壁に置かれあたかも壁にもたれかかっているかのような姿勢です、コミューン軍との話し合いで追い詰められているのでしょうか。

 

 

アンリ=クロード・ダルクール中将の霊廟

これはとても素晴らしい彫刻です。登場者の動きや身振り、顔つきがドラマを見るような気持になる作品です。

被葬者はアンリ=クロード・ダルクール中将(1704-1769年)高位の軍人であったようです。

この彫刻の作者はジャン=バプティスト・ピガール(1714-1785年)で、バロックと新古典主義の二つの影響を受けた芸術家です、主な作品としてはサン・シルピス教会の聖母子像が挙げられます、この時代を代表する彫刻家と言えます。

完成は1776年です。

この作品はドラマのような仕掛けになっています、それぞれの登場人物がそれぞれの役割を持ちこの場面を構成しています。

左の裸の男性はダルクールの守護神として描かれています、右手にたいまつを持ち、左手で棺の蓋を開けています、彼の復活を促すものですね、松明はここまでの道を照らしてきたのでしょうか今は下に下げられています、結婚の証明であるとの記事もあります。

中央で棺からまさに起き上がろうとしている男性は、本人ですね白い布を手で払いまさに棺から立ち上がろうとしています。復活の死因なので、もっとすがすがしい感じなのかと思いきや、ある意味不気味な表現で、彼が長い眠りから今覚めたというドラマを表現したかったのでしょう。

そして右側にいるのは死神ですね、骸骨の手には砂時計がしっかりと握られています、復活の時を測っていたのか、はたまた眠りの時間を図っていたのかしゃれこうべからは表情をうかがうことはできません。

下段にはベールをかぶった女性がいます、ダルクールの妻でしょうか顔が見えないので表情がよく見えません手に握りしめられているのは時計だそうです。女性の足元には、ヘルメットや部隊旗が置かれています、おそらく彼が連戦してきたことを示す栄光の印としてここに置かれたものでしょう。

女性の衣装の衣紋が精緻に刻まれています。とてもきれいですね。

こうしてお墓は一つ一つが様々な思いや歴史が詰まっています、また、彫刻を見るとなくなった方の年代や、その方がどんな方だったのかがしのばれてとても灌漑深いものがあります。

2025年4月i-phne15pro