前回はノートルダム ド ロレット教会のエントランスから主祭壇までのお話をしました。今回はその中に含まれていた説教壇についてお話しします。

前回お話しした説教壇です。
説教壇とは、ここで聖職者が福音の解説、聖書のお話をします、道徳的神学的な説教を行うわけです。
声を教会全体に届けるために身廊側に張り出すように置かれまた天蓋や後方を囲む木の壁は拡声器の変わりをします。しんと静まり返った教会の中でここでの聖職者のお話は高い天井や壁に当たりわずかな残響を残しながら我々の耳に伝わってきます。この音はとても味わい深いもので私は好きです。

説教壇の構造がよくわかるように画像をトリミングしました。
この教会ができたのは前回お話ししたとおり19世紀で、この説教台も典型的な19世紀の3層構造になっています。
下部は上に半円形の腰高個々の説教者が入り話をします、柔らかい半円形の上にケイシング的な幾何学様の縁飾りと、下には花と果物でしょうか、によってデザインされた帯状の飾りがしつらえられています、とても精巧に細工されたものです。
そしてその下にはベルを上に向けたような形の飾りが続いています、これも何とも言えない優しい形に仕上がっていますね。
この下部すべてのパーツがどれがなくても完全なものとはならないそんな思いを抱かされます。
説教者が立つ台の両脇には円形の台に乗った2つの天使像が置かれています、2体とも胸で手を交差させ、目は閉じています、少し背伸びするような足首が上へ向かう躍動を思わせます、目をつぶった顔からはあまり表情は感じられません、ひたすら説教を聞いているそんな思いで彫り上げられたものかもしれません。説教者が語る力と、天使たちが聞く力その両者に支えられて説教が続けられていきます。
像自体は衣紋や、羽の部分の細部にわたって心を込めて彫り上げられたすぐれた作品と言えます。
この教会自体は新古典主義的空間でスタティックな雰囲気がします。あまりにも整然としていて少しとっつきにくいところがあります。
そしてそういった雰囲気の中にどこか人間臭い、動きのある像を置くことによって参拝者がふと心を寄せていくそんな心の動きを狙っているようです。
その上には天蓋とてっぺんには十字架が這うされています。
この天蓋は先ほど説明した教会全体に声をいきわたらさせるための拡声器的な要素があります。
天蓋には何も飾りはありませんが、それが下にある2体の天使と説教者をよりきわだ立てています見事な計算と言えます。
そしてその上には十字架、あまり装飾的ではない窓から差し込む自然光が柔らかくこの台を照らすさまは一幅の絵といってもいい光景です、教会は1回だけ訪れるのではなく時間を変えて訪れることをお勧めします、その時間によって刻々と表情を変えていくこれも教会の醍醐味の一つです。
私は教会を散歩の休憩所としても利用させてもらっています、冬は暖かく、夏は涼しく散歩の疲れをここで癒す私にはそんな存在でもあります。
1枚目の画像を見てください説教壇の後ろには螺旋階段があります、これまた曲線が美しい階段です。
さて、この螺旋階段ですが実は訳があります、説教者は祈りや音楽の時に後ろの階段から上がります、礼拝者からは見えない位置から上がってくるので、突然現れたかのようなイリュジョン感を与えます。登場にもドラマがあるんですね。そして説教が終わるとまたスット姿が消える面白いですよね。
説教は日常ではないその非日常的な時空を演出するのもこの説教台と説教者なのです。
全体的に見ると説教壇は2本の大理石の円柱に挟まれるように作られています、円柱は色が薄い灰色なので、焦げ茶色の説教壇がとても印象深く私たちに感じられます。そして十字架の程近くにコリント形式の柱頭が見えギリシャ的哲学とキリスト教の融和を物語っています。まさにルネッサンス時代がもたらした産物と言えないでしょうか?