リュクサンブール公園は彫刻美術館

リュクサンブール公園の魅力は市民の憩いの場所というだけではなくたくさんの魅力があります。

リュクサンブール公園は彫刻美術館

この公園には彫刻が100体余り置かれています。

パリの公園に行って驚くのは、どんなに小さい公園に行っても立派な彫刻作品が置かれていることです、さすがに芸術の都パリですね。日本ではあまり見られません。

美術品を公共施設に置く意味は装飾的な効果だけではなく才能のある若手や、無名の作家に対する知名度の向上と収入の道につながります。

ラ・ファム・オ・ポム ジャン・テルジェフ作 11937年

ここはリュクサンブール宮殿の前です、前面には1937年に制作された彫刻です、現代の作家ですが、後ろに見える彫刻はローマ風の彫刻ですね。チューリップの植栽と相まってとても美しい場を作り出しています。

Reines de France et Femmes illustres(フランスの王妃と著名な女性たち)(ウイキペディア)

今回はリュクサンブール公園に展示されているReines de France et Femmes illustres(フランスの王妃と著名な女性たち)のいくつかをご紹介しますね。

 

サント・ジュヌビエーブの像

 

上の画像はサント・ジュヌビエーブという女性の彫刻です。作者はミシエル=ルイ・ヴィクトル・メルシエ(1810–1894)、完成は1843年です。

 

リュクサンブール公園でパリの歴史を探そう

セント・ジュヌビエーブとはどんな人

そしてさらに面白いことは、こういった芸術作品は、芸術的価値だけではなく、歴史的な価値も持っています。

つまり、この作品を見て、はてこの「セント・ジュヌビエーブ」という人はどんな人だったんだろうかといった興味が湧いてくる訳ですね。

調べていくうちにいろいろなことがわかってきます、こういったことも、パリ散歩の醍醐味の一つなんですね。

実はこのジュヌビエーブさん5世紀から6世紀の空の下に生きていた人なんですね、まだそのころはフランスなどという国もなくパリという町もありませんでした。

この時代、ヨーロッパは西から攻め込んでくる遊牧民族フン族の襲来に戦々恐々としていました。フン族は中央アジアから西欧に勢力を伸ばし次第にゴート族やゲルマン族を征服していきました。首領はアッティラ勇猛果敢な戦士でもあり、たびたび東ローマ帝国に侵入し荒らしまわった。

その後451年に西ローマ帝国に進攻するために軍を率いてガリアに向かったと歴史は語ります。

その時です、その時にアッティラの軍勢はルテティア(現在のパリ)を目指して進軍をしてきました、その時若い女性ジュヌビエーブが立ち上がり逃げ惑う民衆を押しとどめ熱心に祈りを捧げました。

その結果、アッティラの軍勢は進軍の方向を変えルテティアは難を逃れたというものです。これは逸話です。この逸話は「サント・ジュヌヴィエーヴの伝記(Vita Genovefae)」などに記されています。

サント・ジュヌビエーブの逸話はたくさん残されています。

彼女は死後ジュヌビエーブの丘、現在のパンテオンに葬られたといわれています。

現在彼女の聖遺物と言われているものはサン=エティエンヌ=デュ=モン教会に保管されています。

過去のブログ

パンテオンについて

kimama-travel.jp

kimama-travel.jp

 

リュクサンブール公園に置かれているサント・ジュヌビエーブの彫刻

この彫刻はポール・デュボアという彫刻家です。

この彫刻がリュクサンブール公園に置かれた背景には、1860年にナポレオン3世の命により「フランス史の中で特に偉大とされた女性像20体が置かれたうちの1作品です。

 

改めてこの彫刻を見てみましょう。

ジュヌビエーブは目を閉じて少し右を見ているようです。目は閉じられていますが、あたかも自身の右側にいる何者かを見ているようです。

編まれた髪の毛が、ベールの下からはみ出すかのように前に出て、ゆっくりと肩から胸に流れていっています。とても自然な雰囲気を醸し出しています。

手は胸の下にゆっくりと組まれています。ここでも穏やかで、ゆったりとした佇まいが感じられます。

とても美しいこの像をしばし眺めました、この像から感じられたのは、宗教性という感じではなく、女性の尊厳のようなものが強く印象付けられました。

いやー、本当に公園の散歩は楽しいです。